
創始者、コーリン・チャップマン(アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマン)は1982年、英国サター州リッチモンドに生を受け、ロンドン大学でエンジニアリングを学び、この大学時代に自動車と出会うことになり、オーステン・セブン・サルーンの売れ残りの車を改造し、チャップマンスペシャルを造り上げ、”LOTUS”と命名しました。
彼のその後の革新的アイディアを持つ天才エンジニアとして、のちに”F-1”界のドン!と呼ばれるまでになった情熱家でもあります。
レース部門、コンペティションでは、ライバル達に対して、常に一歩も二歩も常に先を行く革新的なマシーンを送り続け、プロダクションモデル(市販車等)の分野では時代を超えて、世界中のスポーツカーファンの心を掴んで離さない魅力あるスポーツカーを世に出し続けました。
1960年代のF-1界では、あのジム・クラークとグラハム・ヒルで世界チャンピオンに、1970年代にはヨッヘン・リント、エマーソン・フィッティパルディにて、又世界チャンピオン。1980年代は、マンセル、デ・アンジェリス、そしてあのアイルトン・セナ、中島悟のドライブにより、世界中に注目されたことは記憶に新しいです。
そしてそのモータースポーツ全盛の中、プロダクションカーはスーパー7の前身のマーク?からマーク6、そして”セブン”へ、2座のライトウエイト・スポーツカー“エラン”“エリート”そして”ヨーロッパ”と時代に合わせて“エスプリ”と常に進化を続け、一時、チャップマンの逝去(1982年12月16日)により社内の問題も発生したが、世界中の車好き、モータースポーツファンや愛好家から今日も愛され続けているメーカーであります。